歯ブラシ製造から創造の翼を広げ、企画・開発への道を拓いた初代。
その意思を承継し、「オーラルケア・プロダクツのスペシャリストが提案する」という
独自の経営を貫き、現在のクリエイトに至りました。その軌跡をご紹介します。
CREATE STORY
~1980
昭和初期、歯ブラシ工場を創業した谷口安吉の次男・俊文は、専務として社長である兄とともに経営に携わっていた。
俊文には営業の資質が生まれながらに備わっていたのだろう。主要OEM先であるT社に出向し積極的に営業活動したことが認められ、T社会長と奥様の覚えめでたき存在となっていた。
そんな折、当時はまだ100店舗足らずだった大手コンビニエンスストアからオリジナル商品の開発依頼を受ける。兄はT社との関係を考え、猛反対したという。
しかし、俊文は「どうしても商品開発がしたい。例え独立してでも、自由に仕事がしたい!」と、当時誰も考えつかなかったあるアイデアを手に、株式会社クリエイトを大阪・近鉄八尾駅付近に創業する。
時に、1980年のことだった。
初代の父・谷口安吉と初代・俊文
CREATE STORY
1980
クリエイトを創業した俊文は、来客用としてコンビニエンスストアでついでに購入できる「清潔個装お客様用歯ブラシ3本入」を開発する。
創業間もなくは、妻・好江も事務を手伝い、会社を共に守っていた。
少しの揺れでも倒れてしまいそうな、あばらやとも言えるほど古い社屋で、文字通り「吹けば飛ぶような」小さな会社だった。
共同経営者だった当時の専務と袂を分かつというトラブルも発生した。売上は激減したが、それでも俊文は静かに耐えた。クリエイトは、専門分野の商品企画と営業に特化することで、少人数でも売上を上げられることが強みとなり、この後訪れる厳しい時代も生き抜いていく。「企画開発の力で新製品を創り出す」。俊文の理念といえるこのビジネスモデルと、苦しい時代にも守り続けた強い想いは、今のクリエイトに受け継がれている。
2001年、「糸ピックス」を自社製品として発売。現在に続くロングセラーとなる。
同年、翌年流行語大賞にもなったマイナスイオンを毛先から発する「マイナスイオン健康宣言」も大手スーパー・コンビニエンスストアのPBとして開発、爆発的なヒットとなった。
こうしてクリエイトは、オーラルケア・プロダクツ業界に着実に足跡を残していく。
2001年の発売からロングセラーの「糸ピックス」
CREATE STORY
2003
東京の大学に進学し、彼の地で就職していた俊文の長男・善紀が乞われてクリエイトへ転職したのは、2003年のことだった。
当時は、年商2億円、善紀を加えても従業員4名という小さな会社。創業のきっかけとなった大手コンビニエンスストアとの取引が、売上の大半を占めていた。その頃のクリエイトは「食べていければ十分」という社風で、「会社を大きくしよう」などといった野望は見られなかった。
しかし市場では、ドラッグストアを中心にPB開発の機運が高まっていた。そこで、善紀はそれまで手をつけてこなかったドラッグストア市場の開拓を始める。大手ドラッグストアを始めとした小売店や卸会社への営業、仕入、商品開発と多岐にわたる業務に精を出した。取引先では年商の低さから「三流メーカー」と蔑まれたり、同業他社に悪評を吹聴されたり、特許侵害の疑惑がかけられて売場から商品が全撤去されるなど、順風満帆とはいかなかった。
しかし、時代の波もクリエイトに味方して、オーラルケア・プロダクツの企画開発専門である強みと、高品質かつ低価格の商品を武器に、業績は右肩上がりを続けていく。
クリエイトの代名詞
「Dentfine」シリーズ
その間、善紀はどこにも負けない自社ブランドの創出を考え始めていた。ちょうど、社員が代理店から「いろいろな小売店に販売できる製品を作ってほしい」と言われた時期とも重なっていた。新たな協力工場を探しに海外の展示会に赴き、「ここなら」と思えた企業への工場視察などを経て、開発に着手。善紀のスケッチをCADで描き起こした木製の型をもとに生産し、新たな歯ブラシがここに誕生した。
善紀が社員と移動中に新商品のネーミングを考えていて、フッと浮かんだのが「Dentfine(デントファイン)」だった。「スッキリして明るい語感」だと善紀が決めたこのブランドはシリーズ化し、クリエイトの代名詞となる。
善紀には今でも忘れられない想い出がある。
入社2、3年が経った頃、大手チェーン店の店長から電話が入った。小学校6年生の子どもが歯ブラシのヘッドを噛んで割れてしまった。幸いケガはなかったが、母親が立腹して店舗に破損品を持ってきたという。そのチェーン店の売場からは、当日中に該当商品が消えた。
翌日お詫びに伺った善紀は、母親と面会することができた。お詫びと品質管理の徹底を約束した後、かなり強い力で噛んだであろうことを説明した。すると母親が、その子が受験生で相当なストレスを抱えているようだと話してくれたのだ。詳しく聞くと、受験予定の関西の有名私立中学校が偶然にも善紀の出身高校の付属だった。そこから母親は打ち解け、善紀は学校のさまざまな情報をお話しした。商品のこととは別の話をした後、最後は店舗に同行して「商品には問題がないので大丈夫です。納得しました」と言ってくれた。こうして無事に商品は売場に戻り、善紀は人とのご縁とお客様に誠意を尽くす大切さを改めて胸に刻んだのだった。
「Dentfine」第1号のCAD
木型
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2013
クリエイト創業者である俊文は、善紀の入社以降営業の第一線から身を引き、善紀のすることに口を挟むことはしなかった。営業や商品面は善紀と営業部長が担当し、経理面は専務が担当し、社長として追認するという体制ができあがっていた。社員を成長させるために、あえてそうしていたのだろう。為替メリットで企業として余裕があった時期には熱心にロータリークラブの活動をしたり、高齢者専用賃貸住宅のビジネスを始めていた。
しかし、善紀に「5年後に社長を譲るわ」と笑いながら話していた俊文は、2013年7月持病がもととなり急逝してしまう。クリエイトの命運は、善紀の双肩にかかることとなった。
その頃の世情は、クリエイトにとって逆風となっていた。一時期1ドル75円台まで円高だった為替が、金融緩和により一気に円安が進んでいた。その激変に取り残されていたのだ。円高の時に得意先から利益還元の求めに応じて単価を下げていた製品は、赤字になるものもあった。善紀は得意先へ値上げ交渉へ何度も頭を下げに行き、海外取引先へは値下げの交渉に海を渡り、どうにか踏みとどまっている状態だった。この頃、せっかく伸ばした利益は半減した。
しかし、善紀は新たな道を拓き始めていた。社長就任前から中国人を採用し、中国へのビジネス展開を考えていたのだ。日本法人の上海代理店を通じて展示会に初出展。人脈を構築していき、2015年、中国への海外輸出を開始した。総代理店との契約によりOEM開発など案件が増加するなど、行く手は明るい。
どデカイヘッドの磨き心地にファンが続出している
「デンタルプレステージ」
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2020
2013年、クリエイトにとってもう一つ大きなできごとがあった。大手100円ショップから、「既存のワンシート12本を15本にして売りたい」という、ラバー歯
間ブラシ製造の依頼が来たのである。
金型を作成するなど、先行投資には数千万円かかる。しかし、善紀はGOサインを出した。それは現在、各ドラッグストアのOEM商品としてに数十本単位にパッケージされ、シリーズ累計700万個のヒットとなっている。
また、2015年には、テレビ東京「ワールド・ビジネスサテライト」にで制作会社を募っていた歯科医・渡部英樹氏が考案した、キャンディー型歯ブラシを商品化した。リニューアルを経て「COBRUSH(コブラシ)」として販売、美容歯ブラシとして、雑誌『美的』ともコラボレーションしている。
2017年、歯ブラシによる子どもの喉突き事故が多数報告され、ネックが曲がる歯ブラシを商品化。中国、台湾、韓国の代理店からも取引したいとの要望が出るほどの人気商品となっている。
さらに、2019年には、植毛機を2台購入しパートナー企業に設置、優先的に稼働することで生産効率も向上した。
海外輸出の道も、現在では中国、台湾、香港、韓国、ベトナム、タイ、モンゴルへと販路を広げている。
中国協力工場視察
社員が一丸となりオーラルケア・プロダクツについて向き合っている
COBRUSH(コブラシ)
ドラッグストア同士のM&Aが盛んな昨今、オーラルケア・プロダクツ業界の競争も激化している。
しかし、クリエイトは意気揚々としている。口中の健康が全身に影響するとの認識が一般にも広がりつつあり、今後オーラルケア・プロダクツにはまだまだ大きな可能性が秘められているからだ。
クリエイトはこれからも健康産業に寄与する企業としての重責を胸に、新たな創造を続けていく。